木曽節 〜木曽の中乗りさん〜
木曽節は高旋律の節回しが特徴的で、簡素な動きが多い木曽踊りと対比され、「最も簡単な踊りと、最も難しい唄」と表現されることも多い。唄い方は音頭取りが一人で前半部分を唄い、後付けは踊り手全員で唄う。7・7・7・5調の歌詞にナカノリサン、ナンチャラホイ、ヨイヨイヨイの独特の言葉が入る。木曽節は古代より街道文化の栄える木曽において、大衆や旅人、林業従事者など多種多様な人々と長い年月によって醸成されたものであり、その起源については不明な点も多く諸説ある。
木曽踊り 〜義仲公供養にまつわる武者踊り〜
全国に知られる木曽踊りは、木曽義仲の供養のために行われ、鎧兜の姿で松明行列の後に、木曽節に合わせて踊ったのが始まりと云われていて、風情のある民謡として慕われている。
木曽踊は、輪踊りで生声にて木曽節を唄いながら踊る。夏は浴衣に下駄、草履。夏以外は着物、白足袋、草履にて踊る。踊りは誰でも気軽に学んで踊れる盆踊りらしい特徴を持つ。12の動作を繰り返すのだが、「この踊りは、武士が鎧をつけて踊る心構えが根本で、姿勢はきちっと立て、手の動きは御嶽山にたなびく雲や気高い山の姿を表わすようにすることが大切だ」とされている。
木曽踊保存会 ~なかのりさん町長 伊東淳氏の取り組み~
木曽踊保存会は大正7年、当時の福島町長であった伊東淳氏が町をあげて木曽踊りを盆踊りとして町内外、全国へ普及しようと立ち上げられた。地域で差のあった歌詞を整え、踊りの規格を正し、それらの研鑽と普及について、保存会を中心とした有志で取り組んだ。
伊東町長は自らを「木曽踊司」と名乗り、指導に力を入れた。普及活動は成功し、木曽踊りは全国に知られる踊りとなった。現在、木曽踊保存会は過疎化の進む環境に立ち向かいつつ、伊東氏はじめ先人が積み重ねてきた「正調 木曽節・木曽踊り」を正しく普及し、後世へ伝える役割を担っている。